2022年11月26日
白兎神社と成田山青龍寺へ
郡家駅で下車すると若桜駅から車で郡家に向かった澤さんが先に着いていて出迎えて下さいました
郡家駅前には神兎がお出迎えしていることを教えて頂きました



白兎神社へ
「田んぼの中に見えて来たあそこが白兎神社です」と澤さん

近くまで行くと

創立年代は不詳 祭神は素兎神(しろうさぎ)、稲生神
土師百井村、池田村、福本村、下門尾村、上門尾村の5ヶ村が氏神として白兎大明神を祀っていた 明治時代に村社となり、大正3年に御神体は一旦賀茂神社へ合祀されたが近年住民の強い願いで社を建て戻された 本殿は青龍寺に移築されている
鳥居と額は1943年(昭和18年)の鳥取大地震で崩壊し、こちらが当時の額
うさぎの文字が変わっています 兎の「ノ」の部分が「刀」「、」の部分が「ム」のようです

白兎伝説を長年研究されていらっしゃる新 誠氏がこれまでの研究成果をまとめられた「山の白兎伝説の謎に迫る」を澤さんから頂きました

それでは白兎神社の本殿がおさめられているという成田山青龍寺へ
澤さんが事前に電話をして下さっていてお昼時にもかかわらずご住職と奥様が大変快くお迎えしてくださいました


その上、江戸時代に書き写されたという青龍寺に伝わる縁起のレプリカを見せて頂きながら白兎神社の関わりやうさぎ信仰についてご住職からお話を伺いました
白兎(素うさぎ→野うさぎ)が天照大神の裾をくわえ仮の宮の聖地まで導いたという「青龍寺(青龍寺前身の城光寺)縁起」を伝えており、本堂には大兎明神を祀っている福本白兎神社の本殿が移築されています。
またうさぎを神として信仰するようになったのは、仏教が日本に入って来た時に伝わったジャータカ物語の兎が月に上げられた話しが原点ではないかと言われています
ジャータカ物語とは
お釈迦さまのもっとも大切な教えの一つに「布施」があります。まさに字の如く施しをすることですが、このような仏教説話があります。
昔『うさぎ』、『きつね』、『さる』の三匹は、いつも世の為人の為になるような良いことをしようと話し合っていました。微笑ましく思った帝釈天はこの話を聞いて、「では何か良いことをさせてあげよう」とやつれた老人の姿になって三匹の前に現れました。三匹は老人に元気になってもらおうと喜んでお世話をします。さるは木に登って果物や木の実を採ってきました。きつねは川の魚を採ってきました。しかしうさぎにはこれといった特技がありません。うさぎは老人に「火を焚いて下さい」と焚き火をしてもらい「私はみんなの様な特技はありません。せめて私の身を焼いてその肉を食べてください。」と言って火の中に飛び込みました。
自分の身を投げ出しても相手の命を救おうとする行為は最も尊い行為として月に上げられた物語
青龍寺本殿に納められている白兎神社の社殿を実際に拝見させて頂きました
波うさぎの彫刻は江戸時代 このうさぎは、かつて浄光寺(青龍寺の前身)のあった中山に天照大神が降臨し、その案内役を務めたうさぎとされます。
波兎の後ろに烏と鷺の彫刻があり、烏と鷺で→ウサギ、また烏鷺でウロとも読み烏→黒 鷺→白で囲碁を表しているとのこと

「滅多にお見せしないのですが、こちらの波うさぎの彫刻の裏には…」とご住職が

桃の彫刻がありました
「桃は不老長寿の果物と言われています ぜひ撫でて下さい」ということで撫でさせて頂きました

いろんな伝説が歴史と共にこうして地域に現存していることに驚きと共に感動し、澤さんのお陰でとてもわくわくしした観光となりました
鳥取はカレーも名物と澤さんおすすめの「たくみ割烹」で!
マイルドな和風ビーフ(鳥取和牛)カレーでお味噌汁とらっきょうと福神漬け、デザート付きでした

澤さんが腕時計を見ながら一生懸命案内して下さった
倉田八幡宮→不動院岩屋堂→若桜鉄道→郡家駅→八頭町 白兎神社→成田山青龍寺 は、知らなかった鳥取の魅力がいっぱいで余韻が残る素晴らしい観光でした 感謝!
郡家駅前には神兎がお出迎えしていることを教えて頂きました



白兎神社へ
「田んぼの中に見えて来たあそこが白兎神社です」と澤さん

近くまで行くと

創立年代は不詳 祭神は素兎神(しろうさぎ)、稲生神
土師百井村、池田村、福本村、下門尾村、上門尾村の5ヶ村が氏神として白兎大明神を祀っていた 明治時代に村社となり、大正3年に御神体は一旦賀茂神社へ合祀されたが近年住民の強い願いで社を建て戻された 本殿は青龍寺に移築されている
鳥居と額は1943年(昭和18年)の鳥取大地震で崩壊し、こちらが当時の額
うさぎの文字が変わっています 兎の「ノ」の部分が「刀」「、」の部分が「ム」のようです

白兎伝説を長年研究されていらっしゃる新 誠氏がこれまでの研究成果をまとめられた「山の白兎伝説の謎に迫る」を澤さんから頂きました

それでは白兎神社の本殿がおさめられているという成田山青龍寺へ
澤さんが事前に電話をして下さっていてお昼時にもかかわらずご住職と奥様が大変快くお迎えしてくださいました


その上、江戸時代に書き写されたという青龍寺に伝わる縁起のレプリカを見せて頂きながら白兎神社の関わりやうさぎ信仰についてご住職からお話を伺いました
白兎(素うさぎ→野うさぎ)が天照大神の裾をくわえ仮の宮の聖地まで導いたという「青龍寺(青龍寺前身の城光寺)縁起」を伝えており、本堂には大兎明神を祀っている福本白兎神社の本殿が移築されています。
またうさぎを神として信仰するようになったのは、仏教が日本に入って来た時に伝わったジャータカ物語の兎が月に上げられた話しが原点ではないかと言われています
ジャータカ物語とは
お釈迦さまのもっとも大切な教えの一つに「布施」があります。まさに字の如く施しをすることですが、このような仏教説話があります。
昔『うさぎ』、『きつね』、『さる』の三匹は、いつも世の為人の為になるような良いことをしようと話し合っていました。微笑ましく思った帝釈天はこの話を聞いて、「では何か良いことをさせてあげよう」とやつれた老人の姿になって三匹の前に現れました。三匹は老人に元気になってもらおうと喜んでお世話をします。さるは木に登って果物や木の実を採ってきました。きつねは川の魚を採ってきました。しかしうさぎにはこれといった特技がありません。うさぎは老人に「火を焚いて下さい」と焚き火をしてもらい「私はみんなの様な特技はありません。せめて私の身を焼いてその肉を食べてください。」と言って火の中に飛び込みました。
自分の身を投げ出しても相手の命を救おうとする行為は最も尊い行為として月に上げられた物語
青龍寺本殿に納められている白兎神社の社殿を実際に拝見させて頂きました
波うさぎの彫刻は江戸時代 このうさぎは、かつて浄光寺(青龍寺の前身)のあった中山に天照大神が降臨し、その案内役を務めたうさぎとされます。
波兎の後ろに烏と鷺の彫刻があり、烏と鷺で→ウサギ、また烏鷺でウロとも読み烏→黒 鷺→白で囲碁を表しているとのこと

「滅多にお見せしないのですが、こちらの波うさぎの彫刻の裏には…」とご住職が

桃の彫刻がありました
「桃は不老長寿の果物と言われています ぜひ撫でて下さい」ということで撫でさせて頂きました

いろんな伝説が歴史と共にこうして地域に現存していることに驚きと共に感動し、澤さんのお陰でとてもわくわくしした観光となりました
鳥取はカレーも名物と澤さんおすすめの「たくみ割烹」で!
マイルドな和風ビーフ(鳥取和牛)カレーでお味噌汁とらっきょうと福神漬け、デザート付きでした

澤さんが腕時計を見ながら一生懸命案内して下さった
倉田八幡宮→不動院岩屋堂→若桜鉄道→郡家駅→八頭町 白兎神社→成田山青龍寺 は、知らなかった鳥取の魅力がいっぱいで余韻が残る素晴らしい観光でした 感謝!
Posted by ろば
at 21:20
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