2018年02月27日

沖縄その6 慰霊の旅 安里教会と9条の碑

安里教会を訪ねて
沖縄の伝統的な赤煉瓦をイメージした屋根のカトリック安里教会
1953年に激戦の後を残す荒廃した丘に木造の小聖堂と司祭館が建てられたのが始まりだそうです。

シスターフランシスカさんとの出会い
初めて安里教会訪ねた私をマリア様のようなやさしい笑顔で迎え入れて下さったのがシスターフランシスカさんです。今回初めて沖縄に来ましたが一番の目的は慰霊の旅であり、旧海軍司令部壕、ひめゆりの塔、平和祈念公園とまわって来たことを話すと「まあ少しお掛けになってお話しましょう。」とおっしゃって下さり、教会の椅子に腰かけシスターは石垣島ご出身でお父様は気象のお仕事をされていていらしたそうですが召集され、ご家族は東京の確か高円寺に疎開、シスターが小学校4年生の時にお父様がガダルカナルで戦死されたそうです。しばらくして東京も危なくなって疎開先を仙台に移され、その直後に東京の疎開先だった場所も空襲でやられ仏壇も何もかも焼かれてしまいお父様のものは何一つ残っていない事など話して下さいました。本当に大変な時代だったのですね。
戦後、お母様と共に洗礼を受けられたことや琉球大学を卒業され教育やカトリックの学校創立などにご尽力されたこと、今の石垣島は埋め立てられて昔とは大きく変わったことや人口の約三分の一が元々の石垣島の人であとは本島等から移り住んだ人だという事など話は尽きず…
「どこに泊まっていらっしゃるの?」と尋ねられ「昨夜はJALシティホテルに…」「あら、国際通りで不発弾が見つかって通行止めになったというニュースを見ましたが大丈夫でしたか?」「それは知りませんでしたがホテルから国際通りを見下ろした時パトカーが何台もいて何か事件でもあったのかと思いました。」不発弾と聞き一気に戦時中を身近に感じました。帰り際、シスターが「私も書きますからあなたもお名前と住所を書いてください。」とおっしゃり「また沖縄にいらしたらぜひ訪ねて下さいね!」と私が見えなくなるまで見送って下さった事が忘れられません。後日、お礼の手紙を出したらお電話を下さいました。初めて行った沖縄でこんな会話をし、いつかまた訪ねることが出来るシスターとのご縁は今回の旅の一番の思い出です。


2015年5月1日の沖縄タイムズの記事に
沖縄に多い「9条の碑」
専門家は、太平洋戦争で唯一の地上戦の経験や米軍施政下に置かれた沖縄では9条への思いが強いとみる。
沖縄では、自治体が碑の建設に携わったり、建設後に碑を管理する事例が多い。他府県では行政が建設や管理に関わっている例は見当たらず、県民と自治体が足並みをそろえて平和を希求した沖縄の歴史の特殊性がうかがえる。(沖縄タイムズより)

沖縄には9条の碑が6ヵ所にあり、全国でも突出して多い。4か所が本島にあり、そのうちの那覇市の与儀公園にある「恒久平和の灯」は、市が沖縄戦終結40年の1985年5月に建設された。その他に読谷村、西原町、南風原町と宮古島市、石垣市

与儀公園の9条の碑を訪ねて
ようやくたどり着いた時には、辺りは暗くなっていました。ウオーキングをしていた年配の男性に「9条の碑はどこにありますか?」と尋ねてみましたが「ここに9条の碑があるんですか?それは知らなかった、勉強不足だな…」と。暗がりの中歩き回り、やっと見つけた与儀公園の9条の碑

アップ




静岡にも立派な9条の碑があることをご存知ですか?
さきの沖縄タイムズの記事(2015年5月1日)の中では、静岡県藤枝市では、彫刻家の杉村孝さん(77)が有志を募り、「9条の碑」の建設を進めており、完成は8月15日を予定しているとありましたが、戦争は二度と繰り返してはいけないという願いを込めた静岡の「9条の碑(いしぶみ)」は、現在藤枝市瀬戸ノ谷の杉村先生の工房の敷地内に建っています。

1月に研修で訪れた沖縄、そして慰霊の旅をとぎれとぎれになりましたが、ようやく紹介することができました。美しい海と風景の沖縄に皆さんも観光で行かれることがあると思いますが、悲しい歴史があったことを心の片隅に訪れて頂けたらと思います。  


Posted by ろば  at 18:24Comments(0)